成熟すること大人になること【見返りを求めるのは子ども】

いきなりですが、そもそも成熟とは、どうやら自分は世間から大人として遇されている(もてなしを受ける)ようであると気づく、回顧的・事後的発見というプロセスを辿るものです。

昨今の冷たく、自己中心的な世界では、大人であることが違う意味で扱われ、
成功者こそが正解者として奉られていることが違和感でしかない。

今のような、経済や感染症などによる大混乱期に、
またはSDGsに代表されるより良い世界を気づいていく目標に向けて動くにあたり、
それぞれの人間が人間らしく、そして、大人として振る舞うことが重要だと思ったので、
読んだ方々の成熟のために、内田樹先生の「困難な成熟」を参考に書いています。

 

けいた
この記事を書いているのは、看護師歴10年ちょっとの者です。
専門学校卒で10年目に専門看護師になりました。 普段は、専門看護師として働きつつ、料理や栄養の知識なんかをInstagramやブログを使って発信しています。「はじめまして」はこちらから。

 

□早く成熟すればいいわけじゃない

ごくごく当たり前の人生を一日一日淡々と送っている間にいつの間にか身に付いた経験知・実践知の厚みや深みのことを成熟と呼びます

それにはとても時間がかかるし、身銭を切らないと身に付かない。
でも、そもそも「早く成熟する」ことに価値があるのだろうか。

平和で豊かな社会に生まれた子どもよりも、戦乱や飢饉の修羅場の中で育った子どもの方が早く成熟するかもしれません。
でも、そんなことを羨ましがる人はどこにもいません。

「ある日気がついたら、前より大人になっていた」

そういう経験、数値など単位で表せない経験を積み重ねて成熟する、と内田先生は説明しています。

つまり、最初に話した、
「世間から大人として遇されている(もてなしを受ける)ことに気づく」、
というのは、自分で気づくより前に、周囲の人に自分が大人になったことを認められていくということなのです。

 

□そもそも大人とは何か【shouldとcan】

今の若い人、と呼ばれる人は世間的には大人ではないということだと思うのですが、
世間的な大人はどういったものなのか。

例えば、「やるべきこと」「やりたいこと」には関心があるが、「やれること」には関心は持ちにくいとされます。

「自分がやらねばならぬこと(should)」「自分がしたいこと(would like to)」というのは個人的な事柄です。
それに対して「自分ができること(can)」は公共的な事柄です。

前者を成り立たせるのは私念なので、それを他者が聞いても
「あ、そうですか」「好きにしたら?」と答えるようなものです。

しかし、後者「可能(can)」は違います。
「私にはコレができます」という申告は「コレ」ができる人が求められている場において大きな意味を持ちます。
しかし、求めれていない場合にはその逆となります。

つまり、「可能」というのは他者の期待を私が満たすという時にしか意味を持たず、他者のニーズがあって初めて主題化するのです。

子どもと大人の分岐する境界線はここにあると言われます。

「大人」というのは、自分が何者であるか、自分がこれからどこに向かって進んでいくのか、何を果たすことになるのか、ということを「他人からの要請」に基づいて「応答」というかたちで言葉にする人のことです。

つまり「可能(can)」の条件は、

①他者がいて、②相手のニーズを感じて、③「それを埋められるのは私です」と言えること。

そして、この3つは「人間の社会」が始まる基本条件のようなものです。

自分の願望だけでは社会の一員ではいられないのは言わずともわかりますよね。

 

□見返りがないと動けないのは子ども

そして、これは大昔から語り継がれてきた話系のかたちの1つです。

昔々〜から始まり、何かを欠如させて困っている人に出会ったらヒーロー的な主人公(王子様とか)が出てきてためらわずに身銭を切って助けてくれる。
というのは、主人公が大人としての模範であり、ずっとおとぎ話として語り継がれてきたのは、
子どもにとって大人とはこういうものだと伝える手段だったからです。

逆に言えば、主人公に敵対する魔女などの悪い大人は、子どもとしても捉えれるということ。
声をあげない民衆とかね。

こういってしまうと、若い人に限らず自分の仕事だけを行って対価を請求する価値観は、子どもなの?と思ってしまいますが、必ずしもそうは言えない。

どう考えたって最小の努力で最大の対価を得られた方がいいと思うのが普通です。
勉強も仕事もそう。

子どもの頃から頑張っていい会社に入っていい生活ができるようになりなさいと育てられると、「必要以上の努力をせずに最大の対価を得ようとする」努力をするようになります

それはそういった価値観の社会や人々の中で育てられたからです。

出席日数ギリギリで、勉強時間を減らして赤点を免れるような「努力をする」のは、頑張った分だけの対価が得られるという価値観だからです。

そういう人には「可能」だからやるとか、手を上げて「それオレできます」といえる人は自分に見返りがないとやりません。

もちろんその辺に落ちているゴミを拾う、困ってる人に声をかけるなんてできない、絶対に。

なんなら自分の価値を高めるために相手の価値を下げるようなこともしてしまうのが今の世の中です。
競争する社会にはそういった背景があって出来上がっています。

まだ価格競争ならかわいいもので(かわいくないけど)、国家同士が競争始めちゃっているのが今の世の中なので悲しいですよね。

 

□仕事を取り合う、譲り合う

 

国も社会も、会社も家族も、人は集団でしか生きられません。
そういった場合、もっとも大きなパワーを出していいものを作り上げる必要があります。

それには、仕事をいい意味で取り合う、そして譲り合うことが大切です。
「おれコレやっとくから、そっちお願い」で済むのが一番効率がいいし、いいものができる。

でもそうなると仕事ができる人が一番負担が大きくなる。それが不公平だからって仕事を「均等」にしようとする。
でもそうなれば集団や組織のパフォーマンスは最大にならない。
困りましたね。

だからこそ大人である必要がある。

全員が「可能」なことをすることがパフォーマンスを大きくすることがわかっている以上、皆が物語のヒーローのように振る舞うことが必要なのが、今の社会なんですよね。

出る杭は打たれると言いますが、
そもそも出る杭を打つ人は「可能」なことを行うことを嫌う子どもの人です。

みんなが大人であることが会社や学校や世界をよくする近道であることがこれで少し伝わると嬉しいと思います。

ま、まずは自分がそうならないといけない訳ですが…。

 

 

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