チームで考える意思決定支援【コードブルーから導く看護②】

みんな大好きコードブルーの場面から看護を導くシリーズ第2弾。

前回は看護師も普段のケアの中でも、
患者の同意や納得のもとでケアを決定し行っているんだよ、というお話をしました。

よかったら読んで見てください。

看護師による意思決定と倫理【コードブルーから導く看護】

2020年3月12日

今回は、意思決定について少し視野を広げて、意思決定のための評価と支援の進め方について考えていきたいと思います。

・意思決定支援で起こる倫理的ジレンマ
・意思決定できない患者の支援方法
・意思決定支援の看護師の役割
こういった内容でお話しします。

前回に続いて、コードブルーの症例を利用し、
主に、新垣結衣演じる白石先生と、戸田恵梨香演じる桧山先生に登場してもらいますので、お楽しみに。

では、参ります。

けいた
この記事を書いているのは、看護師歴10年ちょっとの者です。
普段は、専門看護師、心臓リハビリテーション指導士として働きつつ、料理や栄養の知識なんかをInstagramやブログを使って発信しています。「はじめまして」はこちらから。

 

Contents

□お互いに納得する難しさ

ここでは、意思決定と臨床倫理の話をします。
すこし固そうな話ですが、身構えず聞くだけ聞いてください。

医療自体、できる限り患者の意向に沿った形で、提供できるよう、
十分な納得のための手続き、インフォームド・コンセントが行われる、という話は前回もしました。

わずか20数年前までは、
まだパターナリズム的に医療が施されていました。
それだけ医療に関する情報が患者側にないことも問題だったのだと思います。

それ以降、インフォームド・コンセントという概念が広まり(広まりといったのは定着したとは言えないからです)、
それによりドラマにもあるような、病態や手術の必要性に関する説明を行い、同意書をもらうという手続きを行います。

前回の記事でも話しましたが、同意書にサインをしてもらえないと、
いくら手術をしたくてもすることはできません。

そもそも、意思決定支援の前提は、医療者と患者・家族が患者の最善の利益について合意形成をすることである。
しかし、臨床ではしばしば、治療選択のためにさまざまなジレンマが生じ、
最善の選択を見つけ出すことが困難になることがある。

Season1の3話目に出てきた本山さんという脳腫瘍の患者は、
ある事情で手術に踏み切れず、白石は手術を決定できない理由を自分なりに共感を得ようと一生懸命関わるシーンがあります。

どんなに手術が有効だと判断しても、それが患者にとっての最適な選択かは別の話です。
医学における正しさと臨床倫理の正しさが必ずしも一致するとは限らないのです。

臨床倫理とは、「ある特定の患者の具体的な臨床場面で、よりよい倫理的意思決定を模索すること」とされ、
個別の患者の治療やケアの選択に関わる諸問題を扱うことを目的としています。

それにより、目の前の患者に何ができるかを探求し、現実的な解決策を見出すことを目的にしています。

本山さんへの白石の関わりは、手術を受けてもらうために患者の気持ちを知ろうと歩み寄っていきました。
それにより、本人や家族についての話を聞くことで、本山さんが手術に踏み切れない理由を知るに至ったのです。

人間同士ですし、患者も医療者も、いってみれば赤の他人です。
意見が合わないことももちろん、十分理解しあって何かを決定することが難しいのは当たり前のことです。

その中で、なるべく妥当で、可能な限り両者が納得しあえる判断が下せるように模索することが臨床倫理的な関わりなのです。

 

□決定する力の評価

意思決定の前提は”患者の最善の利益”であることは先にも書いた通りです。

しかし、その患者の最善を判断することが、本人または家族、医療者に判断しかねる場合があります。
それが倫理的ジレンマというやつです。

season1第5話で、病院の廊下でフラフラ傾きながら歩いている高齢男性患者急に倒れる。
その松原という男は脳腫瘍と脳ヘルニアによって、もって2、3ヶ月との診断となる。

主治医の白石は、家族に対し、手術は患者の苦痛になるし意識が戻らない可能性が高いため、緩和治療を進める。
しかし、子供夫婦は2〜3ヶ月でも保つのであればと手術を希望し、白石は「今の説明を聞いていましたか?」と動揺を隠せない。

「大事な数ヶ月なんです」ともらす家族に対し、白石は家族にとっても大事にされているんだと思っていたが、
のちに子供夫婦が患者である松原の年金が入ってこなくなることで家のローンが払えなくて困るという話を立ち聞きするのです。

混乱している白石をよそに、松原は手術の同意書にサインをする。
藍沢(山P)は、本人が年金を目当てにされていること、そのために手術をすること、手術によって意識を薄なうかもしれないことを知っていると告げる。
「人は人から必要とされないを生きられない」
白石は「どうして」と言葉を詰まらせる。

このシーンで重要なのは、手術を決定するための患者の判断、家族の思い、医療者の思いがまとまりなく展開されたことで、本当にこれで良かったのか、と視聴者に思わせていることです。

倫理的な課題を整理すると時間がかかるので、またの機会にしますが、
白石は、医療者としての思いと、患者・家族側の判断の違いに倫理的なぶつかり(ジレンマ)を感じていました。

しかし、ここで重要なのは、医療は患者自身の最善の利益を達成することなので、
松原自身が手術を望んだのが、家族のためであろうと、それは最善の選択だったのかもしれないということです。

ただ、もし松原自身にその決定能力がなかった場合について考えてみましょう。

脳腫瘍や脳ヘルニアによって意識が保てない状況で、
同様に手術をするか緩和に徹するかを選択する場合、です。

意思決定支援では、

・患者自身の意思決定能力評価
・代理意思決定の際の基本
が重要になります。

患者の意思決定能力の要素は以下の4点があります。

①情報を理解する能力
②状況を認識する能力
③論理的な思考力
④選択肢の意向を表明する能力

それで松原を評価すると、
本人が同意書にサインするまでに至ったことから、おそらく意思決定能力はあったと考えられ、この場合手術実施は妥当な判断となっていました。
白石先生同様、腑には落ちませんが。

 

では、代理意思決定のための基本原則とは何か。

①本人の意思を尊重すること
②本人の意思決定能力に配慮すること
③チームによる早期からの継続的支援
(認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン参考)

意識障害や認知障害があっても、決定のための能力が「あり」「なし」と二者択一で決められるものではないため、
求められる判断の内容によって、または環境などによって変化する。

いかに患者の周囲の人が、多角的にその患者の意思を尊重した答えを出せるかが、代理意思決定のための基本原則のポイントなのです。

これは家族だけでも難しいことは、先に出た脳腫瘍の松原の立場だったら感じるのではないでしょうか。

□チームで意思決定を考える

インフォームド・コンセントが、患者自身が十分んあ情報を得た上で、
自分の受ける医療を決める自己決定モデルであるのは、先にも説明した通りです。

しかし、実際にその患者さんの決定が、医学的にも患者さんのQOL(Quality of Life)的にも、妥当な選択かどうかを振り返って吟味されることはあまりありません。

一方で患者による自立の生き過ぎた尊重は、意思決定の負担を患者や家族に押し付け過ぎてしまうという指摘もあるそうです。

治療が複雑化し、核家族化や社会の高齢化など患者を取り巻く社会環境も変化していることからも、
提供された医療情報を正しく理解・判断し、自身の最善の選択をすることがいかに難しいかは、想像に難しくありません。

season2第2話で、白石先生が担当する北山治は、怪我の診察で偶然脳腫瘍が見つかる。
しかし、手術では記憶を失うリスクが高く、妻である弓子は手術を決めきれないでいます。

悩む弓子に対し、看護師である冴島(比嘉愛未)が、治との思い出話を聴き、
手術をしないで夫婦としての時間を過ごすという選択肢もあるのではないかと提案するシーンが印象的です。

そんな冴島に対し、白石は、「決めるのは患者さんたちでしょう?」と冴島につっかかります。

ここでのポイントは、
・命を守るために手術をする:白石
・夫婦のかけがえのない記憶、関係性を守るために手術をしない:冴島
患者・家族を見る視点によってさまざまな判断があるということです。

どちらも患者とその家族のための選択肢でありました。
おそらく冴島のほうが、season1で医師として突き進めることを決めたばかりの白石より、柔軟に弓子に寄り添えていたとは思います。
同時に、白石自身も手術に誘導するような説明になっていたことを気にしていたので、
内心では、家族関係も含めて判断した上で手術を進めたのでしょう。

このように、臨床においても「ほんとうにその治療をすすめていいの?」と疑問に思うことがあります。
そんな時は、医師と患者、家族だけではなく、
関わるさまざまな医療者と患者、家族で話し合えることが望ましいと言われています。

患者の価値観や嗜好に合致した意思決定を、患者と医療者が共同で行うためのモデルとして、Shared decision-making(SDM)というものがあります。

SDMにおける医療者の重要な役割は、医学の専門家としてだけではなく、
患者が自身の価値観についてよく考え、それを正しく表明することができるように支える支援です。

患者の多様な価値観に対応するためには、医師だけでなく多職種チームで意思決定プロセスに参加する必要があると言われています。

白石と冴島の考えは、劇中ではぶつかってしまいましたが、
本来はそのような選択も、この夫婦には大事なのではないかということを、同僚や上司に相談ができる、
患者夫婦と話し合えることがSDMのプロセスということになるでしょう。

物語は、手術を行い記憶を失ってしまうが、夫婦は新たなスタートを切るにいたるのですが、
それが正しい選択であったかどうかは、その後の人生を追っていく以外正解かどうかはわかりませんし、
それを決めるのも、その人生を歩むのも患者さんたちなのです。

それを知った上で、僕ら医療者は、患者さんの選択とその治療に望まなければいけないのですね。

□まとめ

実はSDMにはもう1つ重要な意味がるといわれています。

単純に患者の意思のみに依拠した選択を行うのもまたおかしな話で、
医療者と患者が患者にとっての最善をめざして「ともに変わっていく」過程も重要と言われているのです。

劇中で、白石と冴島がぶつかり合ったり、
記憶を失ったが、術後の夫婦の姿を見ることで、
白石が手術をしたことが正しかったのだろうか?と振り返ることもまた、SDMを促進するためには重要なことなのだと思います。

昨今では緩和医療やチーム医療に診療報酬がつくようになってきました。
その背景には、複雑化した家族や社会背景に合わせた医療の提供ができるようにすべきという医療側の変化が求められていることが言えます。

したがって、僕らは、SDM自体が根付かない病院医療にメスを入れるべく、
こうやって発信をしていかなければいけないのです。

 

Situation of Nursing 1【リハビリが進まなくなった脳梗塞患者さん】

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看護師による意思決定と倫理【コードブルーから導く看護】

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